代表の自己紹介 過去の運転歴

初めまして、こんにちは!

アイマドライビングスクールの藤原です。

ホームページでは書ききれない為、
このブログで私の自己紹介をさせて頂きます。

こんなことを書くと驚かれると思いますが、
実は私は、元々・・・

皆様と同じペーパードライバー出身です。

何故元々ペーパードライバーだった私が
このようなスクールを立ち上げられたのか
お話させて頂きます。

元々、運転に興味もありませんでした。

しかし高校卒業と同時に陸上自衛隊に
入隊することが決まり、職種の関係で
19歳で自衛隊でいきなり大型免許を取得しました。

そして何故か私が隊長専属のドライバーを
させてもらうことになり、その時に上司から
運転が出来るか見極めをしてもらいました。

結果は・・・。

めちゃくちゃに怒られて
隊長のドライバーどころではなく
運転手として失格!

「ドンクサイにも程がある!お前はクビや!」

と見極めの途中に怒鳴り散らされたのを
今でも覚えています。

頭の中が真っ白になり「クビや!」という
言葉だけがループしていました。

しかし残された見極めの日数でなんとか
合格を頂き隊長の専属ドライバーとして
その後3年ほど、2週間に1回のペースで
運転手としてハンドルを握り続けました。

3年間のドライバー生活で上司からも
運転中に指導されることがしばしばありました。

しばらくしてから
プライベートで車も買いましたが
極度の方向音痴だったのでいつも道に迷い
目的地に到着できない時が多々ありました。

一番酷かったのはUSJ(ユニバーサルスタジオジャパン)
へ向かったのですが到着したのは・・・

どこかのお寺でした(笑)

お寺に到着した時は情けなくて
その場で舌を噛んで死のうと思いました

1人の時は良いですが友人などを
乗せて道に迷った時は最悪でした。

道に迷ったプレッシャーと後部座席の女の子
の冷たい視線が合わさって大量の汗が背中を
流れるのです。

そして、まだ私有車を持っていない時期に
友達の家に行ったときの話です。

友達のお母さんに車を取ってきてほしいと頼まれ、
「大型トラックしか乗ったことがないので普通車が乗れません」

訳の分からない言い訳をして、

友達のお母さんに鼻で笑われたこともありました。笑

自分には運転の才能が無いと日々、思い込んでいました。
しかし人間不思議なもので苦手なことでも毎日やっていると
ある日いつのまにか出来るようになることがあります。

私の場合、それが車の運転でした。

私有車を買ってしばらくしてからは
ある程度運転出来るようになって
自衛隊で牽引免許も取らせて頂き
その時はかなり上達していました。

そして、自衛隊を退職後に方向音痴を
克服する為にタクシーの運転手に
なろうと思い教習所へ行きました。

2種免許の卒業検定の時に
教官に言われた言葉が

「安全に運転出来ている。特に問題無し」

なんと他の2人はカーブでのハンドル操作が
少しキツイとか沢山指導されていたのに
私だけ褒めて頂けたのです。

そしてその後タクシー会社に入り、
最初の見極めを大ベテランの
教官にして貰ったのですが

その時の言葉が・・・

「若いのにキッチリ運転できてる!」

でした。

そしてタクシードライバーとして勤務してから、
お客様に運転を褒めて頂けるようにも
なりました。

女子中学生から年配の方まで褒めて
頂けました。

一番嬉しかったのはタクシー会社に入って
2ヶ月目の夏のことです。

72歳の女性が車から降りる時に

「あなたねぇ、私この会社のタクシー10年
乗ってるけど貴方が一番運転上手い」

と褒めて下さいました。

ここまで言われて私は確実に
運転が上達したと確信できました。

「ドンクサイにも程がある!お前はクビや!」

           から

「あなたねぇ、私この会社のタクシー10年
乗ってるけど貴方が一番運転上手い」

と変わっていたのです。

運転に対する自信が確信となった私は
タクシー会社を辞めさらなる運転技術の向上のため
運転手としてハンドルを握り続けました。

夜のコンパニオンの送迎から、産業廃棄物の
収集、引越し屋、探偵での追跡など・・・。

ここまでが私の波乱万丈の運転履歴です笑

さてここから肝心な、
なぜスクールを立ち上げることになったかです。

ある日、死亡事故のニュースを見ていて
ハット気が付きました。

「何故運転免許を持っているのにも関わらず
毎日こんなに交通事故で死人が出るんだろう。」

「これは教習所だけでなくもっと別の機関で
運転について教育が必要ではないか」

「教習所は免許を取る為の場所だが
死亡事故にならない為の防衛運転や
具体的な運転指導も行っていないし、
何か物足りない気もする」

「教習所よりも国が運転教育という分野に
積極的に力を入れていない。」

そのようなことを感じながら
日々生活をしておりました。

でもやはり毎日、死亡事故が発生し
遺族の方の悲しい姿がテレビで出て
私はなんともいられない気分に
なっていました。

いつしか私は
「この国から死亡事故を
減らしたい」と
本気で考えるようになりました。

死亡事故を減らす為に
自分が出来ることは何かないか?と
3ヵ月ほど考えた挙句、答えが出ました。

スクールを立ち上げることです。

しかし誰を対象にして教育をどのように
やっていけば良いか浮かびませんでした。

ところが情報収集をしていると
運転に不安をもってる方や
ペーパードライバーの方なら運転技術を
身に付けたいと心から思っているとわかり

このような方たちの為になりたい。
安全に運転出来るようになってもらいたい
と思い、3年という時間をかけて

交通ルール、教習所で指導している内容、
教習所で生徒が勉強する本、問題テキストを研究し、

今まで自分がペーパードライバーから
プロドライバーになるまでの心の変化や、
運転技術などの経験を細かく分析し、

マニュアル化してスクールを立ち上げました。

私はこのスクールで、ただ単に
運転が出来るように教えるのではありません。
それでは意味がないのです。

お客様がこの先ずっと運転されて行く中で

事故をする、事故を貰う確立を下げる
運転を教えていきます

毎日、車を運転して一生事故をせずに
人生を終える方はほとんどいません。

統計でプロのタクシードライバーでも
8年に1回は事故をします

つまり事故は避けて通れない
という現実があります。

交通事故で死んだらおしまいです。

何もかもおしまいです。

ペーパードライバーの方の気持ちは痛いほどわかります。
(私が元々ペーパードライバーでしたので)

車をぶつけてしまう恐怖、
道を間違えて戻れなくなるという恐怖、
他人に怒鳴られたり煽られるかもしれないという恐怖、
沢山の恐怖があると思いますが安心して下さい。

その恐怖があれば絶対に
安全運転が身につきます。

逆に運転に対して少しの恐怖もなくなって
しまっている人間は大事故を起こして
人を殺すか自分が事故で死んでいるか
のどちらかになります。

私でも運転に対して少なからず未だに
恐怖を持っております。

恐怖心は見方です。
恐怖を持ったまま運転して良いのです

運転できない自分を責めるのは
良くありません。

私は運転に恐怖を持った
元ペーパードライバーであり
教習所の指導員ではございません。

しかしながらマイナスの状態からスタートし
プロドライバーになれました。

運転には操作の他にが必要だと
いうことが分かりました。

ハンドルテクニックや操作だけで
安全運転はできません。

運転操作とが一緒になって初めて
安全運転となるのです。

このという表現はあいまいで
分かりにくいと思いますが

例えを出すとすれば
他人を思いやる気持ちです。

実践教習ではこのを基準とした運転を
行っています。

また教習中、少しでもリラックスして運転
して頂けるように優しい指導をしますので
ご安心下さい。

そして改善しなければならない所が
あった時は、ただ単に

「ブレーキが遅いので早めに踏んでください!」

などありきたりな指導はしません。

なぜ早めにブレーキを踏まなければ
ならないのか?

ブレーキが遅いとどうなるのか?
早めにブレーキを踏むことで
道路上でどうゆうことが起きるのか?

などなぜそうしないといけないのかを
具体例を出してご説明しますので

一度、チャレンジしてみたいと思われている
方はお気軽にご連絡下さいね。

少し長い自己紹介になりましたが
この辺で失礼します。

この国から死亡事故が
無くなる
日が来ることを心より願います

アイマドライビングスクール 代表 藤原健太郎

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